競艇史に残る!レジェンド寺田千恵選手

寺田千恵 てらだ・ちえ 選手
登録番号3435。支部・岡山。出身・福岡。
65期。1969年4月11日生まれ。46歳。血液型O型。
主な優勝:07年レディースチャンピオン(徳山)、
10年レディースチャンピオン(下関)、15年レディースチャレンジカップ(芦屋)
2015年は優秀女子選手に選出され、テラッチはまだまだ健在!01年グランドチャンピオン(唐津)での女子選手による史上初のSG優出は、艇史に残る金字塔である。その後も女子戦線のフロントローを走り続け、一時は「レディチャン優勝なし」がボートレースの七不思議にも取り上げられたが、07年に初V。10年にも優勝し、今年は最多タイの3V
目に挑むことにもなる。実力はもとより、その存在感は岡山支部の女子選手、いや女子全体の精神的支柱ともなっている。

女子戦は注目されて当然
振り返れば、寺田さんのSG優出で、女子を取り巻く環境は変わってきたと思います。寺田さん以外でも女子のSG出場機会は増えていますし、記念でも女子選手は増えている。寺田さん自身でいえば、混合GIの優出もありました。寺田さんが流れを変えたんです。
寺田さん)いやいや、それはたまたまその順番だっただけですよ。もっともっと厳しい時代に、鵜飼さんはSGや記念でもコース獲りをしてたんですよ。ほんと、そのことだけでも頭が上がらないし、素晴らしいことだと思う。自分にできたかといえばできなかったと思います。でも自分のできる範囲で、男の人、女の人と言われずに済むような世界にしたいなという気持ちはあったんですよ。女の子だから体重軽くて勝てたんだろ、と言われたくない。正直、体重が関係していることはわかってるんですよ。でも、そうじゃない部分もあるということをわかってもらいたかった。エンジンだって、体重が軽くて何もしなくて出るって言われるのも癪に障るので、ペラもがんがん叩きますし、整備もします。何でもできないと認めてもらえないと思ってるので、自分ができることをあの優出以降もやってきたつもりです。

そうしたなかで、我々が鮮明に覚えていることがあります。女子戦がこんなに売れる前の話です。たしか女子王座のピットだと思うんですが、「女子選手はみんな頑張ってる、もっともっと注目されていいはずだ」って寺田さんが言っました。
寺田さん)私は当然だと思ってるんです。
寺田 みんな諦めないですよぉ~、女の子は。遅い時間帯まで、ピンクがどれだけ降りてるかということですよ。

ピンクというのは自分のレースが終わった後の試運転用の艇番と艇旗ですね。たしかに女子戦では水面でピンクをよく見ます。
寺田さん)諦めない心。ちょっとでもうまくなりたいという気持ち。予選終わって準優に乗れなくても整備もするし、ああいう姿勢というのがお客さんに伝わったんじゃないかなと思うんです。それがいい方向にいい方向にいって、どんどん浸透していったんじゃないかな。だって、SGや記念もなぜ面白いかといえば、SGや記念の選手も諦めないんですよ。
SCもみんな、1等るために最後まであきらめないでしょ。ああいう姿勢がお客さんに伝わって、買意欲につながるんだと思うんですよ。

SGや記念と女子戦にそういう共通点がある。

そういう意味で、成績が悪い子が頑張ってない、というんじゃないんですよ。
正直、成績の悪い時のほうがやることは山ほどありますからね。私たちは成果だけが取りざたされますけど、何をもって一生懸命やってるかというのはいろいろあるんですよね。あと、10何年前から比べると、女子のモチベーションは変わりましたよね。
売上をみんな気にもけるようになりましたし、みんなで頑張ってそろうっていう気持ちがある。自画がまわったと思います。

こうゆう状況になったからこそ、やはり女子ののSG制覇を見たい。

寺田)ひとつの目標ではありますけど、私のいちばんの目標は「私がやれることをやらなきゃいけない」ということ。そのスタンスは変わらないですね。今、私には何が足りない、何をしなければいけない、というのが年相応に理解できてきているんです。
26年経ってやっと、モーターボートが少しわかってきたんですよ。今までは本当に無謀な戦いをしてきたなって。それに対して、着実に少しずつやれるようになってきて、それがあるからこの年齢になっても維持できているのかなって思うんです。